社畜からフリーランスになるまで

鵜
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社畜って鵜飼いの鵜と一緒だな

2020年に会社を辞めてから残業代未払いについて訴訟しフリーランスになりました。

当時はなんの技術もスキルもなく会社の看板がなくなり肩書もないまま大海に放出された状態でした。
エサも決まった時間に決まった場所で働けば得られていたのにフリーランスになったら自分が稼働するor商品が売れないとエサがなくなるんです。

社畜って超キケンなんですよ。どんなに働いても働いても鵜のように成果を会社に取られて雀の涙くらいのエサを渡されて翌月から積み上げノルマ0件から再スタートさせられるんです。バカバカしい。

しかも経営者サイドからすると鵜なんか働けなくなってもどうでもよくて、なんならAの鵜とBの鵜の見分けもつかないレベルで同じ仕事しかしていないから給与は一緒。

アナタもよく考えてみてください。鵜Aが病気になりました。鵜Bはまだ働けます。
でも実入りが少なくなってきたから鵜Cを採用しよう。となると仕事が回りだすんです。

新卒はあと40年働ける鵜。中途入社40歳の鵜はあと20年しか働けません。同じ教育コスト払うなら若い鵜を採用したほうがいいですよね。しかも歳を食った鵜は若い鵜よりも労働生産性がなく使いづらいし病気になりやすいです。

経営者サイドからみるとこのようにみられているのです。

歯車教育がないとオレやってらんないよ

これは以前、経営者とはなしたときの本音です。

「公立の義務教育はさ。毎年毎年、従順で無知だけどギリ業務を回せるレベルに育った人材を輩出してくれるんだよね。
あの教育がないとオレら人雇えないからさ。毎年でてくるじゃん。潰れたら交換交換というように義務教育はビジネスオーナーにとって安く人材を仕入れるために必要なのよ。」

それを聴いていてウーン苦しいけど本音だなっと思ったんです。
今では人を雇うリスクもわかるし、ひとのビジネスに全乗っかりで他責思考が気持ち悪いっていうのはわかるんですけど自分自身鵜のような生活で搾取されてきたからウーンだったんですが真意なんですよね。

きれいごとなしにいうとビジネスオーナーはとてもリスクを負っていてその分果実を得ているわけでこの学習も努力も否定してはいけなくて、むしろいままで無知でいてそこに補償や権利を求め続けるほうがおかしいという考えに切り替わっていきました。

使用者と労働者には大きな壁があって、使ってあげているに対して働いてあげているという構図なんですがどう見ても使用者の方が資金力、経験値、法律など上なんですよね。

裁判した身でよく味わったので私に稼ぐ力がなければ裁判していても戦いきることはできなかったし、途中で投げ出さなきゃいけなかったかもしれない。

鵜でいることの危険性

最初にはなしたとおり、ただの鵜でいるとビジネスオーナーに嫌われる歯向かうなどしたら居場所がなくなるわけです。

スキルも仕事もないのに継続して戦うこともできません。いま苦しいのなら自身の脳に投資してみてください。
高額だから怪しいではなく、他人の経験値と魚の釣り方を教えてもらうならアナタも土産を差し出さないといけないんです。

よく考えてください。自分が谷に落ちてケガしてその先で見つけた果実のある場所を他人にタダで教えますか?
わたしなら教えません。相手の経験値には価値があることを称え、その知見をもらうことには対価が必要です。

尊敬する迫社長の言っていたことです。「ひとは野菜を作るときには肥料を使うのにいざ自分のことになると肥料をケチり自力で育てようとする。」だれかが講座代を自己投資して300万使用してきたとしてその中の本当に使える部分だけ抽出して教えてくれるとしたら時短できるしミスを回避できますよね。

相手に礼を尽くして教えを乞う。

高額商品は怪しいではなくアナタが自分自身の時間単価をわかっていないから相手の時間価値を理解できないのです。
いままで怪しい危ないで食わず嫌いして避けてきたから今の人生+今の結果なんですよ。

人生どこかでターボかけないと搾取されてヘロヘロなまま年を重ね放出されますよ。
年老いて群れを出されたら狩られて終わりです。

まだ動けるうちに学んで努力して行動してみてください。

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