フォードは、大衆用に安くて頑丈な車を作り出し、世界中に広めたので『カール・ベンツが自動車の産みの親であるなら、自動車の育ての親はヘンリー・フォードとなる』と言われた人物です。
自動車メーカーフォードの工場は、敷地内に川を引きこんだり発電所を作ったため、鉄鉱石を高炉に入れてから車が完成するまで28時間というスピードを手に入れました。
今回は、車を自社工場だけで完成させるフォードの『垂直統合モデル』について紹介していきます。
フォードは車を民衆向けに広めた
みんなが使える車の開発
1885年、ドイツでダイムラーとベンツがガソリン式自動車を発明しました。
価格は平均世帯年収の4倍以上しており、車はお金持ちにしか乗れないモノでした。
1903年フォードは「フォード・モーター」を作り、安くてみんなが使える車を目指して開発を始め、1908年に950ドルで買える「モデルT」と呼ばれる車を生み出しました。
さらに1925年に260ドルで買える、大衆向けの「T型フォード」を開発し車文化がアメリカで広まりました。
労働者の生活場所が変わる
フォードのおかげで、民衆は車を安く手に入れることができるようになり、生活は大きく変化しました。
産業革命の結果、工場の近くに労働者が住むのが当たり前で、工場からの煙で空気は汚染され、騒音もあり住環境は劣悪でした。
しかし、フォードが安い値段で馬の10倍も走る車を提供したことで、労働者たちは、土地の安い郊外で環境の良い家に住むことができるようになりました。
分業制にした「フォード式生産システム」
フォードが、車を安く作れた理由は3つあります。
自動車メーカーフォードの特徴
まず1つ目が、生産システムの変更です。
生産性向上のために「作業時間・動作分析」をして「作業の標準化・マニュアル化」を行う『フォード式生産システム』を作り上げました。
さらに、「徹底した分業化」と「流れ作業」を導入しました。
本来、熟練工が行っていた作業を単純作業に分割し、あとで組み立てラインで合体させることにしました。
部品も簡略化し、専用機械での開発バラツキを少なくすることができました。
販売店はフランチャイズのフォード専門店だけ
フォードが、車を安く作れた2つ目の理由は、販売システムの変更です。
販売サービス網も独立のディーラーに任せるのではなく、フランチャイズ方式でフォード専売店を全米に広げることにしました。
フォードだけを販売する店なので、それまでの売りっぱなし販売ではなく、購入者が修理などもお願いしやすくなり、安心してお店と付き合いができるようになりました。
生産が追い付かなくなり生まれた『垂直統合モデル』
フォードが、車を安く作れた3つ目の理由は『垂直統合モデル』です。
フォードの車は人気になり、増産に次ぐ増産で原材料や部品メーカーが生産スピードについてこれなくなりました。
そこでフォードは、他社に頼らず自社だけで車を完成させる『垂直統合モデル』を目指すようになります。
ガラス工場、ゴム工場、製鉄所を同じ敷地に用意し、リバー・ルージュ工場の建設を開始しました。
1916年には、ルージュ川から運河が引かれ、自社所有の自動車運搬船が直接入れるようにし、生産だけでなく炭坑、製材工場、ガラス原料の採石場、発電所も統合しました。
その結果、鉄鉱石を高炉に投入してから車が完成するまで28時間という自社完結の製造体制を作り出すことに成功しました。
最後に
今回は、車を自社工場だけで完成させるフォードの『垂直統合モデル』について紹介しました。
1903年フォードは「フォード・モーター」を作り、安くてみんなが使える車を目指して開発を始め、950ドルで買える「モデルT」と呼ばれる車を生み出しました。
フォードの安い車は人気になり、増産に次ぐ増産で原材料や部品メーカーが生産スピードについてこれなくなり、他社に頼らず自社だけで車を完成させる『垂直統合モデル』を目指すようになります。
1916年には、ルージュ川から工場へ運河が引かれ、自社所有の自動車運搬船が直接入れるようにし、生産だけでなく炭坑、製材工場、ガラス原料の採石場、発電所も統合しました。
その結果、鉄鉱石を高炉に投入してから車が完成するまで28時間という自社完結の製造体制を作り出すことに成功し、1932年にはフォード・モーターは全世界の自動車生産の3分の1を占めるようになりました。